「 橘 岳 ・ 鈴木 都 二人展 ~古瀬戸と美濃~ 」(~1/27迄)を開催中です。明日1/23は午後から橘さんが在廊して下さることになりました。
橘岳(たちばな・がく)さんは、古瀬戸と呼ばれる中世に作られた瓶子(へいし)を作っています。
古瀬戸とは、12世紀後期から15世紀後期にかけて、約300年の間、瀬戸地方の窯で作られた施釉陶器の総称です。古瀬戸の生産内容から、この300年を前期・中期・後期に大別しており、橘さんが作る瓶子は、前期にあたる12~13世紀ごろに多く作られたものです。前期の古瀬戸は、高級施釉陶器として、その多くが鎌倉へ運ばれました。
中期(13世紀後期~14世紀中期)になると、器種も増え、瓶や壺に加えて、天目茶碗や碗・皿、花器などに展開していきます。さらに後期(14世紀後期~15世紀後期)では、皿・鉢・鍋・釜など生活用品が作られ、一大窯業地として生産量も増加しました。当時、無釉の炻器(せっき)が一般的であった日本の他の窯業地に比べると、瀬戸は最先端をいく焼き物の産地でした。
古瀬戸の瓶子は、当時の中国陶磁を祖形にしており、武家社会の社会的ステイタスを表す象徴的な存在でした。元々中国では酒器や祭器として作られたものですが、鎌倉の出土品には、蔵骨器として使われたものもあるようです。
橘さんが作る瓶子は、古瀬戸の前期に作られた、まだ技術が完成し切らない粗製の姿を残しています。それは、中国陶磁の極めた形や釉調とは異なり、手の温もりを感じる柔らかな輪郭で、その上を流れる自然灰が美しい条痕(じょうこん)を描いています。
陶片や窯跡から、当時の素材や技術を推察し、それに近い瀬戸の原土を山の中から採掘、そして薪窯による焼成(一部、ガス窯アリ)によって、原点に近づこうとしています。そうして得られた姿は、まるで本歌と見紛うほどの出来栄えです。
古瀬戸の瓶子の姿は、中世の素朴さを残しながら、同時に律とした気品を兼ね備えています。じっと見つめていると、その内側から静かな意思が伝わってきます。それは、橘さんのお人柄と同じく、もの静かに思索的で、とても深い深いところにある目に見えぬ情動のようなものです。古瀬戸の瓶子。そう、それは橘さんと、とても重なるのです。
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橘岳さんの自宅にて撮影
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橘岳さんの自宅にて撮影
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灰釉三筋文瓶子(梅瓶形)No.13 高さ29cm 胴径19cm
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灰釉三筋文瓶子(梅瓶形)No.16 高さ30cm 胴径18cm
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灰釉印花文瓶子(肩張形)No.15 高さ26cm 胴径18cm
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灰釉無文瓶子(梅瓶形)No.7 高さ30cm 胴径18cm
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灰釉無文瓶子(梅瓶形)No.19 高さ30cm 胴径18cm
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灰釉三筋文瓶子(肩張形)No.17 高さ30cm 胴径21cm
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鉄釉瓶子(肩張形)No.8 高さ28cm 胴径18cm
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灰釉無文瓶子(梅瓶形)No.23 高さ30cm 胴径20cm
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鉄釉瓶子(肩張瓶形)No.10 高さ28cm 胴径20cm
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鉄釉椿文瓶子(梅瓶形)No.12 高さ27cm 胴径18cm
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灰釉三筋文瓶子(肩張形)No.1 高さ35cm 胴径20cm
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灰釉三筋文瓶子(肩張形)No.20 高さ28cm 胴径17cm
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灰釉無文瓶子No.22 (梅瓶形) 高さ29cm 胴径18cm
橘 岳 ・ 鈴木 都 二人展 ~古瀬戸と美濃~
2015年1月17日(土)から27日(火)まで 会期中無休
営業時間 11時~18時
ギャラリーうつわノート (地図)
画像クリックで拡大
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橘 岳 (たちばな・がく)
1978年 千葉県生まれ
2004年 一橋大学社会学部卒業
2010年 愛知県立窯業高等技術専門校修了
2014年 現在、愛知県瀬戸市で制作
鈴木 都 (すずき・しゅう)
1984年 東京都生まれ
1997年 美濃古窯跡を訪ねる
2011年 愛知県立窯業高等技術専門校修了
2014年 現在、岐阜県土岐市で制作
橘岳(たちばな・がく)さんは、古瀬戸と呼ばれる中世に作られた瓶子(へいし)を作っています。
古瀬戸とは、12世紀後期から15世紀後期にかけて、約300年の間、瀬戸地方の窯で作られた施釉陶器の総称です。古瀬戸の生産内容から、この300年を前期・中期・後期に大別しており、橘さんが作る瓶子は、前期にあたる12~13世紀ごろに多く作られたものです。前期の古瀬戸は、高級施釉陶器として、その多くが鎌倉へ運ばれました。
中期(13世紀後期~14世紀中期)になると、器種も増え、瓶や壺に加えて、天目茶碗や碗・皿、花器などに展開していきます。さらに後期(14世紀後期~15世紀後期)では、皿・鉢・鍋・釜など生活用品が作られ、一大窯業地として生産量も増加しました。当時、無釉の炻器(せっき)が一般的であった日本の他の窯業地に比べると、瀬戸は最先端をいく焼き物の産地でした。
古瀬戸の瓶子は、当時の中国陶磁を祖形にしており、武家社会の社会的ステイタスを表す象徴的な存在でした。元々中国では酒器や祭器として作られたものですが、鎌倉の出土品には、蔵骨器として使われたものもあるようです。
橘さんが作る瓶子は、古瀬戸の前期に作られた、まだ技術が完成し切らない粗製の姿を残しています。それは、中国陶磁の極めた形や釉調とは異なり、手の温もりを感じる柔らかな輪郭で、その上を流れる自然灰が美しい条痕(じょうこん)を描いています。
陶片や窯跡から、当時の素材や技術を推察し、それに近い瀬戸の原土を山の中から採掘、そして薪窯による焼成(一部、ガス窯アリ)によって、原点に近づこうとしています。そうして得られた姿は、まるで本歌と見紛うほどの出来栄えです。
古瀬戸の瓶子の姿は、中世の素朴さを残しながら、同時に律とした気品を兼ね備えています。じっと見つめていると、その内側から静かな意思が伝わってきます。それは、橘さんのお人柄と同じく、もの静かに思索的で、とても深い深いところにある目に見えぬ情動のようなものです。古瀬戸の瓶子。そう、それは橘さんと、とても重なるのです。















橘 岳 ・ 鈴木 都 二人展 ~古瀬戸と美濃~
2015年1月17日(土)から27日(火)まで 会期中無休
営業時間 11時~18時
ギャラリーうつわノート (地図)


橘 岳 (たちばな・がく)
1978年 千葉県生まれ
2004年 一橋大学社会学部卒業
2010年 愛知県立窯業高等技術専門校修了
2014年 現在、愛知県瀬戸市で制作
鈴木 都 (すずき・しゅう)
1984年 東京都生まれ
1997年 美濃古窯跡を訪ねる
2011年 愛知県立窯業高等技術専門校修了
2014年 現在、岐阜県土岐市で制作